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家族からのモラルハラスメント、過去の虐待について相談したいと考えをまとめていた際に、私が所属していた某新興宗教団体を思い出した。
もしかすると私は【信仰、神の家族という精神的な繋がり】をダシに宗教団体の信者から支配されていたんじゃないだろうか。知らずのうちにマインドコントロールされていたんじゃないか、と。
当時の信者の動機がどうであれ、善意の押し付けや過干渉、私が抱いたネガティブな気持ちの否定があった。
神について何も知らない、分からない入信者はまず先輩信者や創設者の言葉を頼りに教団の教えを学んでいく。人間が生まれた目的だとか、祈りの手順、神の意思をだ。
実践する中で「これはどういうことなんだろう?」「神はどのように考えているのか?」「なぜ自分に苦しく、つらい出来事が起こるのか?」など様々な疑問が湧く。
勉強会や直接他の信者と連絡を取ってさらなる教えを請う。
そうしていくうちに、私は神や他人に依存していってしまった。
寝込むほど落ち込み、祈りの集会を欠席していると先輩信者から連絡がくることが何度もあった。「最近どうしてる?」と。
当時の私は毒親からの度重なるモラハラのせいで心がめちゃくちゃ疲弊していたので、気にかけてくれる人がいる! と喜びその先輩信者に悩みを相談するようになっていた。
だけど今思えば、「困っている」「助けてほしい」「相談に乗ってほしい」とこちらが何も言っていない段階で連絡があったのは不思議に思う。
健全なメンタルの持ち主なら、「なんかこの人距離感おかしくない?」と怪しむタイプの人物かもしれない。
新しい職場で初対面の新人にやたら親切に近づいてくる人を想像してみてほしい。
私が「なぜ連絡してくれたんですか?」と質問すると、先輩信者からは決まってこう返ってきた。
「神が、鳥井さんに伝えるように、って」
……本当だろうか?
神は、物理的に見ることも感じることもできない。なので真相は私には分からない。確かめる術もない。
だけど当時の私は頼れる人が他に誰もいないと思っていたので、それを信じてしまった。先輩信者の言う神の教えを実践し、死にたくなるほどつらい時は祈った。泣きながら祈った。
結果、どうなったか?
何も現実は良くならないし、癒やされなかった。(当たり前だ。祈っているだけでは何も解決しない。)
これだけだと語弊があるので詳しく言うと、祈りによって一時的には心が癒やされることもあった。ストンと感情の波が穏やかになる感覚があった。教団の創設者は「瞑想のようなもの」と言っていたので一定の効果はあったのかもしれない。
しかし祈っても祈っても、根源的な生きるつらさは無くならなかった。
それどころか宗教団体に入信する前よりも精神は病んでいった。
死にたいと思う度に祈り、一時的には気持ちが治まる。2〜3週間も経つとまた死にたくなる。それの繰り返しだった。双極性障害や複雑性PTSDの症状が出ていたので、本来なら頼るべきは医者や臨床心理士だ。癒やしの方法を聞き齧った素人ではない。
次第に薄っすらと疑問が出てくる。
祈っても意味ないのでは?
教団の教えは間違っているのでは? と。
私は祈りの無意味さに気づきそうになりつつも「いや、神がこう伝えているのだから私の祈りが足りないのだ」「祈りが間違っているのだ」と自分を疑った。信じたい気持ちが残っていたからだ。
だけど疑いが出てくると、最初はありがたいと感じていた先輩信者からの連絡も次第に鬱陶しく感じていった。
放っておいてほしい時に限って連絡がくる。そしてひと通り私の悩みを聞くと、最後は「祈りましょう」と言う。申し訳ないけれど祈りの押し付けに感じ、気持ち悪くなった。
その人に境界線を踏み越えられていたのだが、当時は【バウンダリーをお互いに守る】という概念を知らなかったので連絡を断れずにいた。依存心もあり、頼れる人がいなかったから悩みを話してしまった。
もしも私がアサーティブコミュニケーションを身に着けていたなら、穏便にきっぱりと「今は誰とも話したくないから一人にしてほしい」と言えただろうに。残念なことに、毒親家庭では暴力的なコミュニケーション、それから自分が黙ることしか教わってこなかった。
そのため内心嫌だと思っているのに断れず、先輩信者からの過干渉を許してしまった。
ある日、「(信じるのが)つらい。集会には出たくない」とネガティブな気持ちを吐き出すと、先輩信者は私の気持ちを否定した。
「しんどいのはあなただけじゃない。みんなつらい。それでも神を信じようとしてる」
つらくなったら相談してね、とあれほど言っていた人が「あなたのつらさは大したことじゃない」と否定してきたので面食らった。いきなり梯子を外されたような気持ちになり、一瞬頭が真っ白になった。
助けになるよ、と申し出ておいていざ悩みを話されると突き放すなら、最初からサポートなんかしようとしないでほしい。
なんていうか、先輩信者からは「大きな苦しみを乗り越えてこそ信仰がある。どんな苦しみにも意味がある。耐えるべきだ」
そんな我慢をよしとする根性論を感じた。昭和の価値観かよ。
仮に「みんなつらい気持ちがあるから、あなたのつらさは全然おかしなことじゃない。一緒に頑張っていこう?」のような寄り添いを感じられたなら、まだあの宗教を信じていたかもしれないが。
感情の全否定をされたショックで、あの時他に何を話していたのか殆ど覚えていない。
先にも書いた通り、私が集会を欠席した時に限って先輩信者からは連絡がきた。共依存関係になっていたと思う。
何かある度「祈りましょう」「祈っても祈らなくてもいい。どちらでもいい」と言いながら、私が「祈りたくない」と言葉や態度に出すと結局は、祈るのが良いことだと押し付けられた。
「集会の参加は自由です」と言いながら、私が欠席すると「何かあった?」「そろそろ出ましょうよ」と様子伺いをしてきた。
ダブルバインドのように、結局は先輩信者の思い通りにさせられていたんじゃないだろうか。
それまでの教団の教えや、先輩信者からの過干渉のせいか、祈りたくない自分がおかしいのでは? と罪悪感があったため「嫌だ!」と感じる自分の感覚が信じられなくなっていた。
「嫌だ」と拒否しようとすると先輩信者にそれはおかしいことだと言外で否定され、違和感を覚えつつも教団の教えに従った。
もちろん先輩信者には善意もあっただろうが、実際に私がされたことはモラルハラスメントに当てはまるのでは? と疑わずにはいられない。
信じようとすればするほど自我が破壊されるような感覚を味わったので。
幸い、疑いが確信に変わってからは、教団の人間とは今後二度と関わらないと決め、無事脱会できた。無言でそのままフェードアウトしても良かったが、精神的に離れ断ち切る目的で脱会報告はした。報告後の、創設者の返事がクソだったので離れて正解だと思った。(思いっ切り身バレするので内容は伏せますが。)
数年で新興宗教を抜け出せたのでよかった。いやよくないけど。ハマった時間とお金が無駄〜。
毒親からの自立、メンタルケアを優先するが、余裕が出てきたらゆくゆくは宗教団体に所属していた頃の相談もしたい。もちろん素人ではなく、専門家にだ。