毒親育ちの解毒中ブログ

毒親育ちがセルフケア目的で始めたブログ。毒親の洗脳、陰謀論、宗教やスピから脱却しました。

双極性障害の躁期の失態。毒親に暴言

私は幼少期から両親にモラルハラスメントを受けて育った。人格否定や嘲笑、ヒステリックに怒鳴る、価値観の押し付け、過干渉、面前DVなど様々な虐待を受けた。

物理的暴力はなかったが毒親の精神的暴力によって心がじわじわと死んでいった。確か4〜5歳の頃には既に鬱の症状が出ていた。

そのため学生時代までは、てっきり自分は鬱病だと思っていたのだ。

しかしいつだったか忘れたが、ネットで見た精神科のサイトで「ああ、私って双極性障害だったんだ」と自覚した。

 

20代後半になった今でも双極性障害だ。ここ数年でやっと自覚し、医者にかかろうと思えたところだ。実家暮らしだが無職のため殆ど収入がなく、まだ行けてはいない。某新興宗教にハマったせいで無駄遣いもした。仕事をしていた頃の貯金は宗教で消えた。

宗教団体を脱会し、出費が増え支払いに追われる日々から開放され、ようやく今年行けそうになった状況だ。

投薬治療がメインになる筈だが私はまだ医者にかかれていない。

 

先日、躁状態で衝動が抑えられず毒親に怒鳴って暴れてしまった。とある話題を私はしたくなかったのだが、しつこく尋ねてくる毒母にブチ切れ、「あなたの親(私から見て祖父母)が嫌いです」と拒絶し、これまで受けてきた虐待について毒母を罵ってしまった。

ブチ切れて発言した件に関して、他の家族は毒母を擁護し「謝ったほうがいい。いくらなんでも言ったら駄目だろ」と私を宥めようとしてきた。それもあり、怒りが止まらなかった。

は? 今まで私にしてきた加害は全部スルーで、私がたった一回ブチ切れて言ったことを責めるのか? 子供の頃にお前らも私のことを散々虐めてきたじゃないか! 私に言ったら駄目なことを延々と言い続けて楽しんできただろ。自分たちの加害はなかったことにして、結局私をスケープゴートにして責めるじゃないか……!

もしも法律や宗教のトラウマがなかったら、毒家族全員殺してるレベルで怒りが止まらなかった。流石に物理的に人を殺すのは躊躇われたので、物に八つ当たりした。自室でティッシュの箱とかハサミを握って、机に叩きつけた。右手も机に殴りつけた。

毒両親の目の前では、台所のローテーブルを引っくり返してしまった。(片付けはした。)

 

その夜、家にはお通夜のような空気が漂っていた。

 

相手が毒親とはいえ、怒鳴ったり物に八つ当たりするのは良くないと思っている。衝動が治まった後、「言わなければよかった」「やらなければよかった」と後悔した。

祖父母嫌い発言も、過去の虐待についても。

暴力を振るったら毒親と同じだ。怒鳴って相手をコントロールしようとするのは毒親が私にやってきたことそのものだ。お通夜のような空気も、毒母が怒鳴って暴れたあの日と同じだ。

 

私は暴力で、他人を支配したいわけではない。

ただNOと言って、自分の境界線を守りたいだけだ。

それが上手くいかない。上手くできない。

毒母に距離を詰められると一気に苦しくなって、拒絶感が強まる。纏わりついてくる感じが気持ち悪くて衝動的に、わっと暴言を吐いてしまう。

NOを言えなかった、NOと言っても無視され続けてきた子供の頃の感覚が蘇って、訳が分からなくなる。

書いていて自覚したが私が暴言を吐いた日、あの瞬間にトラウマがフラッシュバックしていた。毒母にしつこく質問されたことで。

 

暴言はよくない自覚があるので、謝ったほうがいいという罪悪感もある。他人を傷つけて喜ぶような感覚は私にはない。

だけど謝りたくない。毒母の加害は許されて、なぜ私の間違いだけ責められなければならないのか、と理不尽を感じているから。謝ると、毒親に屈したような気がして陰鬱な気分になりそうで嫌だ。

毒親の過干渉も面前DVも未だに続いている。

そんな人たちに、なぜ私が謝らなければいけないのか?

加害者に、なぜ被害者が謝らなければいけない?

そう思ってしまう。私の暴言は良くない。人として謝ったほうがいい。頭では理解できる。だけど理不尽感が強く、謝れないでいる。謝りたくない。

謝罪したらきっとまた、私を弱者と決めつけてモラハラしてきそうで不安だ。散々加害してきておいてまた、何事もなかったかのように生活するのが許せない。

 

私は他人に嫌だと言われたり、自分に非がある場合はきちんと謝罪する。

しかし毒親相手だと復讐心が上回ってできない。普段は謝れるが、私が毒親に境界線を超えられたと感じた時には絶対に謝りたくないと思ってしまう。お前のほうが先に加害してきただろ、と。被害者ぶる毒親が憎い。理不尽な相手に謝るのは屈辱だ。

 

そうはいっても双極性障害の衝動性も相まって、拒絶感バリバリの暴言という表現方法になるのが本当に嫌だ。原因がどうであれ、謝らなければいけないような状況を自作してトラウマの再生産をしてしまうのが嫌だ。

毒親に嫌なことをされ暴れて最後はこちらが謝る、というのがそもそも良くない。暴れて拒絶する以外の、NOを伝える手段が必要だ。

境界線を超えられた時に、暴れないで済む方法を身に着けたい。

毒親には暴れるくらいでないと私の意思&人権が無視されてきたから、その癖が残っている。不安感があり、じっとしていられない。

(「言わないと分からないでしょ」と愚痴る割りには、私が嫌だ、やりたくないと言うと「なんで!? やってよ!」と非難してくる。毒親はいつも言うこととやることが矛盾している。)

アサーティブコミュニケーションを臨床心理士から教わると共に、双極性障害の衝動性を抑えるためには投薬治療も必要だ。

早く通院できる状況になりたい。

このまま無駄遣いせず過ごしてお金を貯め、治療できる環境を整えたい。

 

【追記】

この記事を書き切ってから、言い過ぎた件を毒母には謝罪した。

文章を書いているうちに、

  • 何が嫌だったのか?
  • 何を不安に感じていたのか?

を冷静に見つめ直せたからだ。多少ではあるが、自己理解が深まり自分に共感しセルフケアできた。

 

そもそも、私は他人を傷つけたかったわけではない。嫌なことを嫌だと伝えて、相手に引き下がってほしかっただけだ。

だから毒親といえど、他人を傷つけたことに罪悪感があった。申し訳ない。他人を傷つけてしまう自分も、そのまま何となく有耶無耶にするのも嫌だった。

毒親と同じことを繰り返すのは御免だ。

他人にモラハラして普通に生活なんてできない。メンタルが余計に病む。だから理不尽を感じる気持ちはそのままに、暴言を吐いたという行為について謝罪した。

投薬治療が始まったら、恐らく暴言も減ることも伝えた。

謝罪を受けて私のことを許すかどうかは相手次第だ。

毒母は憮然とした態度だったが、その後割りと普通っぽく話しかけてきた。珍しく気を遣ってくれたのかもしれない。私が相当ブチ切れたので、毒母が内心ビビっていたのかもしれないが。

毒母の敵対心はなさそうだった。

私もできれば他人と敵対したくない。

 

今までされてきたことを思えば、被害者ヅラされてうざいなと復讐心が湧いた。

だけど実家で治療を進めるしか現状は手立てがない。そんな状況下で敵対したままい続けるのはしんどさが限界突破しそうだった。自分で地獄にしては、治るものも治らない。モラハラ対策の専門家Joe氏が提唱する「愛より平和」を意識的に選んだ。

それに私には人を傷つけて喜ぶ感性がないので、モラハラをして自己嫌悪した。暴言を吐いて余計に惨めになった。

ぶち◯してやりたい、と復讐心も湧いたが、実際にそれを実行したら罪悪感で最終的に自分も殺すだろう。なので逆説的にだが、他人を傷つけて一見まともそうに振る舞っているモラハラ体質の人間はメンタルぶっ壊れてるんだなぁと再確認した。

あの生き方は凡人には無理だ。

罪悪感がある以上、物理的に復讐を果たしたとしても私にとっては無意味だろうことも何となく分かってしまった。

虐待の傷を癒やせるよう、セルフケアしていくしかない。