毒親育ちの解毒中ブログ

毒親育ちがセルフケア目的で始めたブログ。毒親の洗脳、陰謀論、宗教やスピから脱却しました。

神の名の下に「善意」の押し付けを

※身バレ防止のため、教団の教義をできるだけ似たようなニュアンスの言葉で説明しています。マイナーな宗教なので単語をそのまま使うと確実に分かってしまう。

 

新興宗教団体を脱会してから、あれはおかしいことだったなあ……と落ち着いて考えられるようになってきた。

そのひとつが「神がこう伝えている。だからあなたはそれに従うべきだ」という、一見善意に見える押し付けだ。自他境界線が曖昧だった頃、教団の信者にされたし、私も無意識に他の信者にやっていた。

 

神は人間や他の動物のように目に見えない。概念、存在だ。

たとえ神が透明なだけで実在していたとしても、直接私達の脳内に語りかけてくれる訳ではない。なんとなくそう伝えてきているかもしれない、ぐらいの感覚的なものを信者は縁(よすが)にするしかない。

それにも関わらず、「神がこう伝えてきたから」と第三者の名を借り、とても良い教えかのように述べ伝える。なんて傲慢なんだろう。

「神がこう言っている」

「本当は私の考えだが、神が言っていると思いこんでいる」

その違いはどう見分けるのだろうか。

取り分け病んでいる人間、洗脳されている人間に正常に見分けはつくのだろうか。何しろ自他境界線が曖昧なのだ。

 

教団にいた頃の私は洗脳されていたと思う。教義を信じていた。神に従うことを望み、それが良いことだと思わされていた。

教団の幹部信者は、

  • 「どちらでもいい」
  • 「自由にしてください」

と口にしながら、一方で「神に仕えられるのは、今生限りのチャンスだ」と言っていた。言わば脅しだ。このチャンスを逃したら今後一生出会えません! あなたは損します! 悪徳業者のセールスみたいだった。

 

そして私は当時自覚していなかったが恐怖心から教団の教義を信じ、他者に対しても同じように、神に従うことを押し付けた。今考えると、神の名を利用し、他人をコントロールしようとしていただけだった。ものすごく気持ちが悪い。

「あなたは自由です! 選ぶ権利があります!」と言いながら結局は従うことをよしとするなら、どこが自由だ。自由の意味を履き違えている。無意識に他人をマインドコントロールしようとしていた自分も、あの集団も恐ろしい。

その点を考慮するとやっぱり某新興宗教を脱会して良かったと心底思った。